多摩川中流域

大雨のあと(3) ブルドーザーの砂利道と鉄砲水、その後



大雨のあと4−5日たって、多摩川の水位も下がったかな、と思われるころ、
またあの矢野口多摩川原橋の下にある袋小路の支流を見に行った。
袋小路の支流を塞いでいたブルドーザーの砂利道が大雨のあと見えなくなっていたが、
それは水位の上昇によって水没したのではなく、濁流で一挙に流されたのだと思っていた。
それで、砂利道が水没状態から姿を現しているはずはないと思っていたが、それを確認しておきたかった。
また、鉄砲水の通ったようなあとがあったが、その場所をもう一度見ておきたかった。



ブルドーザーの砂利道のあった場所

砂利道の跡

袋小路の支流の水位は思っていた以上に下がっていた。
ブルドーザーの砂利道のあった場所にはその痕跡は何もなかった。
周囲の中州や河原にも砂利をどけて積み上げたような所は見られなかった。
濁流の力はすごい。あの砂利を押し流してしまった。・・・そう思った。


河原の風景

大雨のあと、草株の間は水が流れていたが、もうまったく水はなかった。
水が引いたあとの河原にはコスモスのような黄色の花が咲き乱れていた。

黄色の花1

黄色の花2

この花は中野島の河原にも群生していて見事な景色を作り出している。



鉄砲水の通ったような跡

護岸からススキの藪の間の小径を下って鉄砲水が通ったような跡がどうだったのか見てみた。
鉄砲水の通ったようなススキのないだ跡はそのまま残っていた。

鉄砲上流  鉄砲下流

上の写真左は上流側、右は下流側の光景。
上流側はススキがかき分けられるように手前に倒されている。下流側は少し空隙が作られた程度だ。
鉄砲水は護岸から河原に通じるこの小径と直角にぶつかるので、小径の上下にも水が流れ、水の力が分散したのだろう。

小径の先端の下の水路はもう涸れていた。水路底にあった石が見える。
あまり高低差もなく、そこを下りて中州側に行くことができた。水があったときとまったく違う。
先日は足元が不安で下りることができなかったのに・・・

小径の出口




鉄砲水が生じたと思われる地形

護岸からの小径を出たこの辺は崖線がカーブしている場所にあたる。
中州に下りて上流側を見ると、中州の中央部の一部が小高くなっていて、
本流側から水が入ってきたとき、流れが狭められて急流になりそうな地形になっている。

上流狭い

その急流が崖線にぶつかりながらカーブに沿って流れていくことになる。
そのカーブの途中に流れを遮るように樹木があった。

分水樹

この樹木が、流れ込んでくる水を二手に分断し、樹木より崖側に行くように分けられた水が樹木の裏側のススキを押し倒して流れていったのではないだろうか。


崖2段

上の写真右には水流を2分したと思われる樹木。ススキの藪が2段になって見える。
上段は樹木の裏側の崖線に沿った背の高いススキの藪。
河原に近い方の下段は、樹木に守られたかのような少しないだ背の低いススキの藪。
写真左には先ほど護岸から下ってきた小径。

来た路

上の写真右寄りに護岸から下ってきた小径。
2段のススキのやぶのうち河原側の下段のものは左側ほど低くなっている。その辺で鉄砲水は河原に合流したと思われる
鉄砲水は樹木の後方のススキをないで進み、この小径のあたりで力が分散し、その後は割とすぐに河原に出たのではないだろうか。

本当に鉄砲水があったのか、また、そういう流れ方をしたのかどうかは分からない。
確かめたい気もするが、それは危険だ。



再びブルドーザーの砂利道について

河川敷のグラウンドを横切って帰りかけたところで、工事中という標識を付けた小型トラックが来た。
運転していた人に支流を塞いでいたブルドーザーの砂利道について聞いてみた。

 あの砂利は撤去した。
 ここの工事は、ほかの所も、梅雨にはいるので6月15日ですべて終わり。
 中州では土手改修工事で土手の下に詰めるための砂利を取っていた。
 工事は11月にまた再開する。

なんと、そういうことだったのか。
「緑の縁取り」の水草を確かめにここに来たのが6月13日。
その後6月15日までに、砂利道が撤去され、その直後に集中豪雨のような大雨。
そしてその大雨の後、また私がここに来たのだ。

すべてはほんの1週間前後の間の出来事になる。

私は砂利道を撤去したことを知らなかったばかりに、大雨の濁流が砂利を押し流してしまったと思いこんでいたのだ。
ミステリーのどんでん返しみたいな結末になってしまった。
少しでも疑問が残っていたら最後まで詰めて調べる。・・・大切なことだ。
これもミステリーものでいつも出てくるせりふだが・・・
                          (2006年6月 撮影)




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