多摩川中流域
多摩川の粘土層
ススキが原の防火帯を散策
府中側の河川敷に広がるススキが原の防火帯を散策した。サイクリングロードから見るのとは違って防火帯は幅が広く奥行きも深い。
防火帯は広々とした草土になっているので気持ちがいい。
ススキと思っているのは実はオギで、背が高く茎も葦に似て太く強い。
川岸では白の野菊が咲いていた。
粘土の層を発見
防火帯の途中で用水路側に入った。この辺はマムシに注意、という看板が立っている。
用水路の川底に泥岩らしい層が露出しているのを見つけた。慎重に用水路に降りてみた。
泥岩と思ったのは、粘土の層だった。指で押すとへ込み、やや粘りがある。
粘土の層は上面が灰色で下部は茶褐色。上流側(写真左側)に向かってやや傾斜して低くなっている。
あまり厚みはない。
1〜2メートル上流の川底にも灰色の面が見えていた。
周辺を探してみると、少し下流側にも粘土の層が露出していた。
この粘土層は茶褐色の部分が一部めくりあがり、石が入り込んでいる。
この写真の左奥に粘土層が続いていた。
その粘土層のすぐ下は石、その下は砂、さらに下は石、と層になっていた。粘土層の上は石。
粘土層は多摩川の氾濫による土砂の堆積の合間に出来たということだろう。
用水路の風景。上流側。
用水路の風景。下流側。上流側も下流側も静かできれいな沢の風景。
コンクリートの護岸のない風景は貴重だ。
粘土層のある場所
この用水路は水門の下から多摩川本流に至る短いものだ。看板を見ると矢崎都市下水路吐口とあった。
下水の用水路だが、流れている水は澄んでいてきれいだ。
粘土層は川に流されて集まって堆積した火山灰などで出来るらしい。本流の脇の水があふれて溜まったようなところが出来やすい場所になるのだろうか。
大地震の被災地で土石流後の家屋の復興にボランティアで協力した人の話では、床板をあげたら、その下に厚い粘土層が出来ていた、ということである。
多摩川の対岸は大丸。奈良時代の瓦のかまどの跡があるらしい。
多摩川中流域のこの付近は粘土層が出来やすい所なのだろうか。
(2006年11月初旬撮影)
追記
稲田堤で、以前に自宅の庭で陶器を作成していたという人の話を聞くことが出来た。
その人は自分の畑の土(下の方は河川敷の土になる)を摺って、粘土にし、上薬をかけて焼いた。
また、この辺は江戸時代に玉焼きというのがあり、山の土(砂?)を摺って粘土にしていた、ということも教えてくれた。
目次に戻る