多摩川中流域



和泉多摩川の泥岩の中州


 和泉多摩川の泥岩の中州。以前、このシリーズで紹介した場所だ(8、和泉多摩川の河床)。ここは地学のガイドブックによると化石の産地として有名な場所らしい。
また、あるガイドブックによると、登戸パミスと呼ばれる火山灰に由来する地層も見られる。
化石と登戸パミスを見てみようと再訪した。


泥岩の中州

泥岩の中州

 この泥岩の中州は宿河原堰堤のすぐ下流側にある。泥岩は飯室泥岩層のもので、向ヶ丘遊園の生田緑地にある枡形山に地質の解説板がある。その地層が多摩川のここで露出しているのだ。約130万年前に浅い海で堆積したもので、貝などの化石があると言う。

泥岩の中州

 川の水位が低いので潮の引いた磯のような眺め。
泥岩層は水の浸食により、凹凸が出来ている。凹の部分は水たまりでなく、きれいな水が流れている。

鳥の足跡

 人の靴の足跡に混じって川鳥の足跡。泥岩だからか、水に濡れている表面が柔らかい。

貝の化石

 中州を飛び石伝いに歩き、化石を探した。
泥岩を割った跡に見られる貝の形。印象化石。中州では所々で泥岩を割って調べたあとがある。

円柱

 円柱状のもの。何の化石だろう? 触ってみると硬い泥質。木ではない。???・・・
何かの遺構?


白く硬い薄層

割れ目

 化石を探していたら、一直線に伸びる1センチぐらいの幅の白い層があるのに気がついた。硬い。火山灰の堆積した層なのか?
この白い層は地表面に対し垂直に近いようだ。しかし、ここの泥岩の層(飯室泥岩層)をはじめ近くの多摩丘陵の地層は少し都心や川崎側が低くなるように傾斜してはいるが垂直には傾斜していないはずなので、この白い層は堆積によるものとは考えにくい。

割れ目中

 これも白くて硬い層。やや厚め。よくみると1センチぐらいの層が4層重なっている。

割れ目太い

 白い層が太くなっているところ。紡錘形。上の太めの白い層の延長線上にある。
この太めの層は最初に見た1センチ幅の白い層と斜めに交叉していた。最初の薄層の走向は西−東、この太めの層は西南西−北北東。
交叉? 地層が交叉する? どうしたらそんなことが可能になるのだろう?

別の割れ目

 別の場所にも似たものが見られた。白い硬い層ではなく、1センチ前後の割れ目である。流れの中を横切って続いている。

割れ目

 また別の場所にも割れ目。割れ目の一部は白いものが埋まっている。この写真の下部では別の割れ目が交叉することなく、鋭角で合流している。割れ目の合流?

割れ目

 割れ目の脇が白くなっているところもある。泥岩が浸食されたところでは割れ目の断面が見えている。


割れ目

 これも割れ目。
 白い薄層や割れ目はほとんどすべて多摩川の流れとは垂直方向に長く走っていた。交叉や合流も所々あった。


中州からの眺め

堰堤遠望

 中州中央部から堰堤方向の眺め。中央やや右上からやや左下にかけて泥岩の中州を分断する急流が流れている。

中州からの眺め

 中州やや下流部から宿河原堰堤方向の眺め。泥岩は乾いていて白っぽい。東京近郊とは思えない風景。


赤土の層

 赤土の泥岩層

 河岸に泥岩層の上に赤土の層が乗っている場所があった。赤土はもろいが、下の泥岩層と接する部分は褐色で硬かった。赤土の上には場所により灰色の土が堆積していた。灰色の土の層は厚さ不定なので水の流れの具合で集まったものだろう。


泥岩層の末端

泥岩層の末端

 泥岩の河原の末端。河原の岸側には赤土の層が見えている。泥岩層も赤土の層も化石の発掘や調査で一部分が砕かれている。
 砂利の河原の向こうに見えているのは東名高速道路の多摩川橋。

泥岩末端

 砂利の河原側から泥岩の河原を見たもの。向こうに見えるのは宿河原の堰堤。


赤土の池

赤土の池

 河岸の裏側を上流側に戻っていくと赤土の固まりが露出した池がある。

 泥岩の中州とその周辺をあちこち歩いてみたが、登戸パミスらしいものを見つけることは出来なかった。


白い薄層と割れ目考

 白くて硬い薄層。割れ目を埋めて出来たものだろう。
 割れ目は何で出来たのか?

 泥岩層が出来たのは130万年ぐらい前。非常に長い地質年代の間には泥岩層にひびを入れるような強さの地震や地殻変動は当然あったであろう。その時出来たひびの間に石灰質か何かがしみ込み固まって白い薄層になったのではなかろうか。
 その様な地震は何回もあっただろうから、白い薄層のところが泥岩とずれて剥離し、また割れ目が出来て新しい白い層が生じ、こうして数層の厚さのものも生じたであろう。
 白いものがまだ埋めていない新しい割れ目もある。新しい時期の割れ目だろうか。

 こう考えていてハタと気がついた。割れ目は、交叉しているものも含め、すべて川の流れに垂直に近い角度で走っている。もしかして、新しい割れ目は旧宿河原堰堤を爆破除去したときに出来たものではないだろうか?
このときの爆破は相当な衝撃があったらしい。100メートル以上離れた家の屋根や窓を爆風が壊している。
地中を伝わった爆発の衝撃波が泥岩層に巨大なひび割れを作ったのではないだろうか?

 はたしてこの考えはあっているだろうか。何か検証する方法はないだろうか。
(2006年12月下旬撮影、2007年3月一部訂正)






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